【人生はPracticeの連続だ】
敵とのコラボレーション
ー賛同できないひと、好きではない人、信頼できない人と、協働する方法ー アダム・カヘン著 英治出版
自分を省みて身につまされるような気持ちになりながら、読み進めている。
少し救われるのはコラボレーションのスペシャリストの著者が、実際には自分の身近な対立も片付けられないのに、人様の対立の解決に首を突っ込むなんて、自分はペテン師ではないか、と悩んだことがあったと言うくだりがあったから。
「コーチ」なのに、うまくコーチング的に関われない時に、私も同じような気持ちになることがある。
この本は、継続して参加しているシステム思考の勉強会で、紹介された一冊だ。
「自分が正しい、相手を変えたい」と言う状況は、私自身にもあるし、日々の中でもたくさん相談を受ける。
その打破のきっかけになればと手に取った。
「コラボレーション」の話の前に、他にも方法やステップがある、と書かれている。
それは、対処法として「離脱」か「適応」か「強制」のどれかに当てはまることもある、ということ。
「離脱」も「適応」も、「強制」も、硬直した状況や、上下関係で一方的なアプローチが効果的だと言う時に選択するもので、
より多方向的に試みることができるのは「コラボレーション」と言う概念らしい。
「コラボレーション」と一言で言っても、
従来型のコラボレーションと、この著者が勧めている「ストレッチコラボレーション」では全く違うこともわかった。
前者の従来型は、「答えは一つ」で組織や上の人が価値観を決めた上で、下に下ろすようなコラボレーションで、
単純でコントロールされた状況でしか、機能しない。
ストレッチコラボレーションの概要をこれから読み進めるのだが、ハッとしたセンテンスを抜粋しておく。
・コラボレーションの困難は、一つの正しい答えがあると言う前提を持つことから始まる。
正しい答えを知っていると確信していると、他者の答えを受け入れる余地がほとんどなくなってしまうので、協力することがいっそう難しくなる。
・上位のものが下位のものを変えると言う根本的に階層性に根差した前提は、誰をも自己防衛に走らせてしまう
こう言った変容を可能にするには、関係者全員が、学びと変化に対してオープンであることが求められる。
・複雑で意見が割れる状況で、協働する場合の典型的な出発点は〜〜〜
誰が何をする必要があるかについて、参加者それぞれに、それぞれの真実がある。
・多様な他者と協働するときは、一つの真実、答え、解決策への合意を要求できないし、要求してはならないのだ。その代わり、そう言う合意がないまま、あるいはそれを超えて一緒に前進する方法を見つけることが必要になる。
・わたしたちの研究では、重要なのは、解消し得ない問題を解決することではなく、その問題をめぐる対話を成立させられるかどうかであろうという結論に至った。
・そう言う対話を成立させられないなら、対立は膠着し、膠着した対立が、最後には相手への無関心となる。
対話すらできない相手であれば、「離脱」か「適応」を取ってきた。
が、ずっとしんどかった。
人生は最後まで学びとプラクティスの連続だ!
ストレッチコラボレーションの方法をまずは、読み進めよう。