「人員不足の中でどう組織を回すか」とか「やりたいことと、やらなくてはいけない仕事の優先順位をどうつけるか」など、「答えのない問題を解決する力」が社会生活では常に求められている。それらは誰も答えを持っていないので自分(たち)で考えて、答えを合意形成をしていくしかない。ところが社会人になるまでの学校教育現場では、子どもたちにそれらの力を育むような機会があるのだろうか。「これまでも守られてきた規則だから」とか「こうあるべきだから」という言葉を使って一方通行的な「指導」がなされているのではないか。そのまま育った子どもたちが主体的に問題解決ができるようになるのだろうか。教育現場が疑問を持たずに何十年も同じ指導をしていることに危機感を持っている。ブレークスルーの一つの方法として以前から注目していた都立高校を訪問した。都立で唯一「哲学対話」を5年前から取り入れた学校だ。哲学対話の体験クラスの様子をご紹介したい。

哲学対話の時間は高校1年生から3年生までの総合の時間に実施されている。それとは別に毎週放課後や休み時間などに「しゃべり場」という場所が設けてあり「対話」をしたい生徒は誰でも気軽に参加できるような仕組みになっている。体験クラスでは中学生、高校生、保護者、教員の全15名ほどが参加をした。大学からはファシリテーターの学生が来ていてルールを説明してくれた。

「哲学対話」のテーマ設定は自由だ。普段から答えがでない問題を年齢、性別、バックグラウンドが多様な人たちの意見を聴きながら考えるという時間である。答えはでなくてモヤモヤして終わるのですっきり感はないが多様な人の意見を聴くということが一つ。考えるきっかけになるのが一つである。今回の対話のテーマは参加者が全員思い思いにこの場に問いたいことをA4用紙に書いた。最終的に投票で一つのテーマに絞られるのだ。参加者から出た問いの一例を紹介すると、
「学校の校則って必要なの?」「運命はあるのか」「ドラえもんの主人公って何?」「神様はいるの?」「勉強って大事?」「TVゲームはなぜいけないことなのか」「絵の価値はどうやって決める?」「浮気は悪いことなのか」「宇宙はどこまで広がるのか」と「子どもと大人の境ってなに?」などなど。


今回は「子どもと大人の境って何?」のテーマに多数決で決まった。哲学対話を始めるためには9つのルールがある。そのルールさえ守れば何を話してもいい。ルールをご紹介したい。

  1. コミュニティボール(毛糸で作った大きなボール)を持った人だけが発言できる。
  2. 何を言ってもいい(間違いとか正解はない)
  3. 人の言うことに対して否定的な態度を取らない
  4. 発言をしなくてもいい。ただ聴いているだけでもいい。
  5. お互い質問しあう(そもそも?、二つの違いは?具体的に言うと?反応は?他の考えは?なんで?立ち場が変わると?要するにどういうこと?)
  6. 本で知っている知識や人から聞いたことではなくて自分の経験で話す
  7. まとめない
  8. 途中で意見が変わってもOK
  9. 分からなくてもいい、答えはない。何の話か分かりませんというのもOK

というルールだ。

哲学対話の前に簡単に自己紹介をしてから「子どもと大人の境って何?」の対話が始まった。1時間弱の対話の中で、素晴らしいな、、と思ったのは初対面の人が多い中で、話を聴いて感じたことを一人一人が素直に表現できる安心安全な場を完全に再現していたことだ。特に在校生の高校生は慣れていて、人の話を聴いてそれを受けて意見を伝えるということが自然にできていた。あとで話を聴くと、大学のAO入試などの小論文を書くときに哲学対話で学んだ「疑問」や「質問力」が活かされているという。参加した教員も「教員目線」ではなくて一参加者として他の人の意見を素直に取り入れてそれについて思ったことなどを場に返すという対等な関係性が見られた。これは中々普段の学校では見られないことだ。


参加してみての感想は多様な学びの現場に20年いて柔軟な対応や発言に慣れていたもののとても難しかった。このテーマはどの方向へ行くのか、何を伝えたらよいのか、自分が感じたことを言語化するまで時間がかかった。50分はあっという間に経った。「大人ってお金が自由に使えていいな~と思っていたけれど、実は色々と我慢していることもあるんだって思った」とか「大人になっても自分らしく居られる環境を探し続けたい」という意見が次々と出てきた。最後は中学生から出た、更に話し合いたくなるような「問い」を最後に会が終わった。「モヤモヤしてもいい」である。


5年前に荒れていたというこの高校。「哲学対話」を取り入れようと決まった時に教員から「生徒たちが主体的になると逆に収拾がつかなくなるのではないか」と懸念の声が上がったらしい。その懸念は見事に裏切られた。現在は哲学対話を取り入れたことで逆に自分の発言に責任を持つ生徒が増えて、自律的になったようだ。思えば私たちは生まれてからこのかた疑問に思ったことを自由に口に出して多様な人たちと意見交換をする機会を与えられてこなかった。その機会を日常的に教育現場で再現する制度に変えることは時間がかかる。まずは私たちができることから取り掛かろう。例えば子どもたちのために家庭で哲学対話をしてみる。「そもそも家事は誰がやるもの?」とか「家族って何?」とか「勉強は何のため?」と話してみたい。家族だけでは多様性に欠けるのならば、年末年始従妹たちと。ご近所さんと、友人たちと、PTAで、会社の研修で。対話が広がり根付いたら安心安全の社会に誰でも居場所が合って一緒に問題解決に向けて行動ができるようになるに違いない。マインドフルラーニングでは来年から哲学対話を活動の軸の一つとして取り入れる予定だ。