【大学入試改革 実質の延期】
朝から目が点になった。英語に続き数学と国語でも記述式テストを見送り、本日その理由を文科省が会見で説明するという。塾業界、進学校、そして今年の受験生とそれを支えてきた家庭、受験の用意をしている大学の全員が迷惑をこうむる判断だ。(もっとも水面下では伝わっていて記述式の用意すらしていなかった可能性もあるが)どうしてこれほど試験直前の発表になったのか。

と同時に、これまでもマインドフルラーニングでは伝えた来たが、もう「学校制度」だけに期待して子どもを勉強させるのは辞めよう。「勉強」は子どもが幸せに自立するための手段の一つであって人生の「目的」ではないからだ。そもそも受験はテストスキルができるかできないかの評価で、人生の幸せとは本来は全く関係がない。

人生を豊かに、自信をもって自分らしく生きていくためには何をどうやっていつから、どのタイミングで学んでいくのか、家庭単位で真剣に考えて意志を持った選択をしていけば、こういうおかみの気まぐれな判断に振り回されずに済む。方法はいくらでもある。麹町中の工藤勇一先生の書籍を手に取ろう。学習スタイル診断を受けよう。親がコーチングの勉強をしよう。自分の育ってきた価値以外もありだと視野を広くもとう。

我が家の子どもたちは3人とも「テストスキル向きの勉強」には興味がなかったし、合わない子たちだったので、強みを早くから伸ばして、やりたいことを応援してきた。人生のポートフォリオを早くから作ってきてよかったと改めて思っている。本人たちの希望もあって随分とテストスキル向上のために塾や家庭教師への投資もしたが、結局芽が出たのはやはり幼いころから取り組んできた、夢を持っていた分野だった。こればかりはやってみないと分からないし、努力したことは無駄ではないのでテストスキル向上への投資は仕方なかったが家計としては大きな痛手ではあった。

強みを伸ばすとか人生のポートフォリオという考えは主流と違うのでそれを貫けたのはひとえに2000年から米国通信制高校でコーチングやプロジェクト型の学習や絶対評価制度を推進し、多様な学びで伴走されて育った子どもたちのたくましさを結果として見守る機会を20年間頂いてきたからだろう。

成績の良い子が決して幸せではなかった。一般的な勉強のやり方は合わないけれどどこか憎めない人たらしの生徒は今では起業家だ。考古学について語らせると学者も黙るような生徒、手先が器用で海外の美大に進学した生徒、などが目に浮かぶ。多様な学びがまだ主流でなかった時代から子どもたちを預けてくれたご家庭の度量の大きさには今更ながらに感服だ。そういえば我が子たちはちょうど私の多様な学びの活動や結果を毎日のように見聞きして育ってきたのだ。

今回の大学入試改革見送りのニュースは別の見方から考えると政府が仕組んだのかもしれない。「学校制度はもう破綻しています。ただ制度を変えるのはしがらみがあって至難の業なので、民意で動かしてください。各ご家庭で対策をしてください」という強烈なメッセージなのかもしれない。そうだったら日本の未来は明るいとも思えるのだ。ただし親が子どものための正しい行動を起せば、である。