先週木曜日に開催したオンライン「哲学対話」の報告の記事を用意していたのですが

先ほど参加したイベントのシェアから。

イスラエルのデモクラティックスクールの父ヤコブ・ヘクト氏とイスラエルの教員の養成大学院の学長でもあり、教育大臣を3年間勤められたユリ・タミール氏との対話イベントに参加し、

現在のイスラエルとハマスの紛争から、教育に携わるものとして何ができるかを深く考える時間となりました。

イスラエルではデモクラティックスクール(民主主義を実践し、学ぶ教育)の40校が公立校だそうです。(全世界だと4000校と言われている)

それらの学校は個性があってさまざまだけれど、4つの大切にしている柱があるそうです。

①民主的なコミュニティがあること、②対話による関係性構築、③自律的な学び、④人権を尊重する学び

生徒、教員、両親、スタッフ、全員が民主主義に基づいて関わっている。

生徒が一人一人違うこと、それぞれが違うスタイルで自分達が選んで学ぶことを支えています。

歴史、レクチャー、など全てのものが「人権」に基づいていて、

それぞれの違う興味があったり、熱意を持っていることは、美しいことであるというスタンスを持っているそうです。

何をどのように誰と学びたいか自分たちで決めれば、純粋な学びができるようになる

学びの範囲を通り越して、コミュニティの中で問題の解決していく、決定していく、

助け合っていく社会の形成につながる、というものでした。

その先にあるのが「平和」な社会であり、平和な世界であるのではないかと腹落ちしました。

そういう意味でも、子どもの強みに着目した声かけを、対話を、と長年活動していたのは、このデモクラティックな考え方がベースになっていたことを改めて確認する時間にもなりました。

【ここからは16日のオンライン哲学対話講座の報告】

特に私の年代、親や祖父母世代は、「正しいこと」「答え」しか発言してはいけないという教育を受けています。

一方で社会に出ると、答えのないことばかり。

正解を求めて、ついテレビで言っていることをそのまま考えもせずに鵜呑みしたり、「正解だ」と思ってあたかも自分の意見のようにいうような経験はないでしょうか?

職場や家庭でも問題解決ばかりにフォーカスがいくと「対話は答えが出ないから、そもそも無駄だ」という雰囲気になることがあります。

正解がある社会はあまり幸せではありません。

不正解を排除しようとするからです。

一人の強いリーダーが、何かを決めてそれに従ったら解決するような社会だったら、それもありかもしれませんが、  

今は時代が違います。

日本の円安で私は「国力」、元はと言えば「教育の力」が問われていると思っているのですが、

自分で考えて自分なりの納得解を出していく、その納得解が他人と違っていても共存できるという社会を実現したいです。

そもそもそのためには、率直に、自由に話せるという場がないと、新しいことを進めていく時に発想自体があったとしても場に出てきません。

間違えても、正しくなくても、いいんです。

失敗を恐れずに自由に語り合う場が増えてほしい。

仮にその場で答えが出なくても、対話が終わった時からそれぞれの中で始まっているセルフトークこそが、

最重要。

自分なりに考えて行動する。

それが例え失敗につながったとしてもそこから学べばいい。

違う意見も心地よい、考えることにつながる、

そんなメッセージをご参加者にはキャッチしていただいたように思います。

「哲学対話の感想より」

・初めて会った方とここまで深い話しができるのは哲学対話のいいところだと感じました。

哲学対話を通じて子どもが素直な気持ちで話す経験をたくさんしてほしいなと思いました。

哲学対話ができる子どもが増えて、その子どもがおとなになればきっと幸せな大人が増えるはず^^。

哲学対話は、私のこの一年のキーワードになりました。

・幸せとは、という風に考えたことがなかったので、有意義な時間でした。子ども・大人で幸せは違うというより、年齢が上がっていくなかで、その人なりの幸せ観が育っていくのだと思いました。

・わからなくなるのは

「おーすばらしい!!」の価値を伝えたい

・どのようにしたら、子どもが自分だけの幸せを探す力をサポートしていけるのか、考えていきたいと思います。

・哲学対話に飛び込ませていただきましたが、皆さんさすが心理的安全性が確保されていて、とても心地よい対話の時間を過ごすことができました。

・私にとっての幸せとは、、、他の人にとっての幸せとは、考える機会になりました。内なるエンジンの発動を応援していきたいです!

📷顔出しOKの皆さんと