インフィニティ国際学院の中等部では、「大人も学習者であろう」を掲げています。
日々の教科型学習の時間に大人も一緒に学びに取り組んだり、スクールタクト(クラウド型のLMS:学習管理システムの一種)に目当てや振り返りを書き込んだりしています。探究学習では「食」をテーマに「?」と「!」を一緒になって発見し、スプリングスクールでは全国から参加してくれた子ども達に在校生と一緒にチューターもギャラリートークの主役として調べたことをスライドにして発表したりしています。
その様子を見ていると、「これだ!」と心から叫びたくなるように嬉しいのです。
大人が子どもと対等な関係で一緒に学ぼうとしている。個性のある子たちが、押さえつけられることなく伸び伸びと過ごしていて、自分の本音をぶつけ合う、その安心安全の土台の上に、学習者中心の学びの本質が芽生えています。
大人が生徒に「これを学ぶためにはこのカリキュラムがいい」と設計するのは決して間違ってはいないのですがそれしかないようなスタンスだと、生徒にとっては押し付けられた学びになる可能性があり、自分事ではなくなってしまいます。「生徒のやる気がないんです」と言う場合の99%が、学びが自分事ではない、自分のやりたいものではないです。
私達は、例えば「ChatGPTもDeepLもあるし英語ってなんで学ぶんだっけ?」と言う問いをとことん追求し、その結果「今は英語は勉強したくない」と子どもが言ったとしたら、「やらなくてもいい許可を与えよう」と話し合っています。
ただし、義務教育過程なので学習指導要領に則って、やりたい火がつくような設計や、やりたくなったタイミングを見計らって伴走する方法は繰り返し話し合う事にしています。
先日の中等部MTGも気が付くと夜11時を回っていました。こんなに温かい大人がいるインフィニティ国際学院の中等部の生徒たちは、日々が忘れられない時間になっているようです。
私自身ももうしばらく層雲峡でそばでみんなの伴走できるのが、嬉しいです。