コロナウイルスの感染防止対策の一つとしてほぼ全国の小学校、中学校、高校が一斉休校になりました。これは学校という制度が導入されて以来の初めての事象です。戦時中さえ、全国一斉に1か月も休校にならなかったのですから。「ピンチをチャンスに変える」、という視点においては「学校は行くもの、勉強はするもの」、という固定概念を見直す絶好のチャンスです。本来教育の目的って何でしょうか?最上位目的を考えてみましょう。

休校に合わせて次々と「○○オンライン」とか「Web○○」が無償で提供されています。教育関連の方はそれらのコンテンツをSNSで共有して紹介しています。社会貢献的には素晴らしいことで助け合いのような雰囲気もあってほんとうに温かい気持ちになります。一方で何かが抜けているとずっと感じていて、私自身はそれらの「コンテンツ」は積極的に紹介をしていませんでした。抜けているもの、、それは学びの主体であるはずの「子どもたち」の声を反映しているかどうか疑問だったからです。

常にやることが決められている「学校」に通い、夏休み冬休みさえ「宿題」で多忙な子どもたちに訪れた初めての「自由」の時間なのです。大人は意図をもって子どもを放っておくことをお勧めします。誤解されないように書いておくと意図をもって放っておくとは、「放任」ではありません。「見守り」を勧めたいと思います。それではどんなふうに「意図をもって放っておく=見守っていく」、とよいのでしょうか。2つのポイントから紹介します。

暇で暇で仕方なくなったら子どもたちは「今日は何をしようか」と必死に考えるでしょう。そして自然と何かを始めます。意図をもって放っておくポイントの一つは大人は子どもの自由なチャレンジが「身の危険に及ばない範囲のものか」を見守ることです。例えばコロナウイルスの感染予防のために閉鎖空間は行かないようにという教育は必要です。また見守るためには大人はあまり子どもの行動が見えすぎないように自分自身のケアや満たしておくことも必要です。

二つ目のポイントは子どもから何をしてよいか相談されたらここで初めて選択肢をたくさん提示してアドバイスをすることです。子どもがとても勉強が好きで学校でするような勉強を希望している場合は、オンライン教材がたくさん無料公開されているので紹介するとよいでしょう。まずは子どもからの相談を待ちます。

本来教育とは子どもが将来幸せな大人のための自立を果たすためのものです。自由を通して、達成感や満足感失敗を存分に体験してもらいましょう。例えば中学生の我が子は、家でカラオケ、ピアノ、ゲーム、編み物、ラインで友人と会話で3日間は過ごしましたが、4日目にはネタが尽きて退屈になりました。そこで「夕飯を作ってみる?」と提案してみました。あえてわたしは自分の部屋にこもり一人ですべてを任せてみました。

好きな音楽やテレビをつけて歌いながら1時間半かけてお味噌汁と肉野菜炒めが出来上がりました。途中で作り方やアイデアを聞かれましたが、「ネットで調べてみたらいろいろと出てくるよ」とも伝えてみました。おいしいものが自分の工夫で出来上がって家族が喜んで食べてくれることを経験したのです。人の役に立てたという満足感や達成感は自己肯定感につながります。つまり勉強とは気が付いたらそれが自分の身についていた、というものであって、大人がおぜん立てをしてやるようなものではないのです。中学生の子どもはその後近所の友人と家で集まったり、川沿いを散歩して春を見つけたり、自由に過ごしています。

意図をもって放っておくことは子どもの好奇心をはぐくむことになります。本来子どもとは好奇心の塊です。とにかく何でも自分でやってみます。生後1年前後の赤ちゃんはどんなものでも口に持って行き、味や感覚を確かめていました。変な味のものは二度と口にしません。つまり失敗して自ら学びます。思い出してみると長男がまだ幼いころ、あらゆるものを口に入れて確かめることがありました。海外の飛行場の手すりをなめて歩いていた時にはどんな病原菌を口に入れるかとヒヤッとしましたが今は風邪もひかない強い子になっています。

子どもたちが育つ姿を見守りつつ本人が希望する好奇心は大事にしていました。今でも現在進行形で、どんなに突拍子もないと親の価値観から見ると思われることでも本人が「やりたい」と言ったら応援することにしています。

さて、これを読んだ皆さんは学校が休みの子どもたちをどうしたらよいかと途方に暮れているかもしれません。子どもたち自身がどうにかするから放っておいて大丈夫、というのがこの記事のメッセージです。逆におぜん立てをしないと生きていけない人間に育ててはいけないのです。そして大人の皆さんの少し肩の荷が軽くなるといいなと思って書きました。子どもが自由なのだから大人も自由。この時期に自分のために幸せ/楽しい/前向きな気持ちで満たすためには何ができるでしょうか。一緒に考えてみてはいかがでしょうか。