現在15歳の娘の5年前の話です。そのころ娘は小学生5年生でした。どういうわけかどうしても学校に行かないと前日に言い、数時間涙を流すので根負けしました。小学校をお休みするのであれば、その日の時間割に沿って一日の家での時間割を作ることを決めて一緒に作ってみました。


例えば、、
国語→教科書の漢字 
理科→今ならっている単元に沿って実や種のできる草木の観察、などなど。

お昼ご飯は家庭科の時間と称して、自分で得意のオムレツを作ることにしました。テレビは小学校のある時間には絶対に見ないことは、ルールとしました。

さて、その日は一度も職場に電話もかかってこないとても平和な一日を終えました。
帰宅をして振り返りをしたところ、
1)算数は教科書が難しかったから公文の宿題をした
2)理科の観察は雨が降ったので取りやめた
3)3時間目はどうしても眠くて昼寝をした
4)起きておなかが空いたので4時間目だけれどご飯を作って食べた。
、、、と娘なりに予定も柔軟に変更したようです。

感想は、とてもさみしかったから明日は学校に行く!

でした。
「学校に行く、行かない」は本質の問題ではありません。これは学習スタイルはもちろんですが、気質とか性格のタイプを超えて、子どもがやりたいと思ったことを存分にやらせてみる。そして実行してみて結果を一緒に吟味して、その後の行動結果を自ら出してみること。問題解決を自力で行い、必要あれば軌道修正。そのプロセスが子育てにはとても大切だと感じています。
その娘ですが、中学校に入っても時折学校休みたい~と言いますが「行きたくないんだね~」と言っていると思索創造型の娘は自分の中であれこれと考え翌朝結論を出しています。どんな結論だとしても、それが長い目で見ると娘にとっては自分で決断した責任を負うことを教えているのだとおもいできる限りサポートをする様にしています。
 
後日談:娘にその後、この記事のことを話したところ「覚えていないけれど、わたしマイペースだったんだねぇ」とのこと。親から見ると今でも十分マイペースなのですが曰く、「今でも学校は行きたくないって思うこと多いからなぁ」と。高校の進路を一緒に探しているところです。ただ、自分の得意なことはよくわかっていて、苦手もよくわかっていて、周りには恵まれた子に育っています。娘ちゃんは、「何があっても生きていけそうだね」、と夫と話しています。また折に触れてご紹介できればと考えています。