子ども達が幼いころから心がけていたことが一つあります。自分の子ども達には何でもいいので「私を超してほしい」ということでした。親をロールモデルにしたり目標にするのは発達心理学的には自然なことだとしても敢えてそれを掲げました。
「越す」という尺度を杓子定規的に偏差値とか学歴とか就職とか、、そんな2次元的なものにとらわれずに、自立とか幸せとかコミュニケーション力とか社会への貢献とか、、3次元4次元的な角度から、方向から可能性を見極めるというところが大きなポイントです。
人類は先人の知恵や技術を絶えず進化させて何万年もの間生き延びてきました。これは、子どもが親を超越してきた証拠のまぎれもない証です。ですので、私が子どもの頃なしえなかったこと、例えば英検2級に小学校でチャレンジ・合格したり、音楽会でピアノの伴奏を担当したり、お習字の段がどんどんと上がっていったり、ひいては末娘にまで163㎝の私の身長を抜かされたり、足のサイズも家族で母親の私が一番ベビーフィート!!何かを越される度に、子どもを祝福します。「あなたは人生の進化に貢献している!」と。
長男が高校の部活で監督とぶつかってしばらく学校も部活も行き渋った時、チームメイトの辛抱強い声掛けと、親や自分との対話の中で最終的には、自分で監督と話に行くという決断を数か月かけてして、結果自分で解決したこと。長女が、クリエイティブな業界で活躍している大人の皆さんと一緒に一つのホテルのイベントを作り上げ、チームとして力になり、可愛がられていたこと。娘の留学中は、わたしの現地校時代を思い出しうまくできなかった壁に娘も同じようにぶつかるのではないかと心配していたのに、ケロリと自分らしくなって帰国したこと。次女がわたしは教えていない「編み物」を自ら動画で学び、お友達の誕生日プレゼントに作ってあげたこと。
「あの頃」のわたしが同じ年齢の私の子どもたちとお友達になったら、我が子たちってなんて頼もしくて一緒にいて楽しいだろう!と思えます。先日も、ちょっとした大人の悩みや迷いを長女に口にしてみたところ、深い話にとことん付き合ってくれました。最後は「なんだかママってママじゃなくて大学生とかそんな存在みたい」と、精神年齢が時折逆転するので笑ってしまいました。
これらは、子どもはできない存在ではなくて、「できる存在だ」という前提をずっと信じて接してきたことが、今少しずつ実になって花となっているようです。「子どもは親を超すように育てる」、、というと、それが子どものプレッシャーになるとか、越せないとだめだ、、というメッセージになってしまうというような意見も聞かれますが、マイナスは評価も判断もせずに、それはそれで接し、どんな大人になっていくか、明確な軸を持ち、見守りながら、時にはガイドをして選択肢を見せて、伴走を続けること。その為の第一歩は子どもの得意なこと、好きなこと、を見つけて伸ばすという決心をしましょう。「学習スタイル診断」は子どもの強みや学びやすい方法を見極めるための一つの指針として大いに活用してください。