コミュニケーションのファーストステップとして「自分自身を知る」ことを提唱しています。自分自身の得意/不得意を年齢の早いうちから知っておくと、大人になって社会に出てからもそれを「インターフェース」として人とコミュニケーションを取ることができるようになるからです。例えば自身の強みを発揮し、弱い部分は周りに補ってもらうような形を築くようになるのです。そのためには自分の気持ちは常に把握しておくこと、つまり自分自身と対話をする習慣は大切です。

自分自身を知り、気持ちを知っておくと人間関係もスムーズになりますし、相手の気持ちや立場が理解できるようになります。例えば私たちによく湧き上がる感情、「怒り」は2次感情だと言われています。怒りの下には悲しみや不安などが混在していて本当の気持ちが分からない状態のまま「怒り」として表出してしまうと効果的に気持ちを相手に伝えられません。怒りが表出する前に自分の本当の気持ちをキャッチすることが大事なのです。

ではなぜ私たちは自分自身を知るのが難しいのかを考えたときに日本の学校教育では「すべきこと」と「してはいけないこと」、つまり義務を徹底的に教えるからという記事に出会い、合点がいきました。私自身がコミュニケーションを学び始めたときに「どんな気持ちなのか伝えてみましょう」というエクササイズがあり、良く自分自身の気持ちが分からずに、感情にラベルを張ることが出来ませんでした。怒りやイライラなど感情はわかるのですがそれ以外の「楽しい」とか「幸せ」の状態が分かりませんでした。学びを通して感情には100くらいの単語があることを知って一日の終わりに自分のモヤモヤを振り返り、浮かんできたその時の気持ちにラベリングをする練習をしました。

感情がよくわからないという状況を思い出してみると当時「子育て」と「フルタイム」を両立し、自分の気持ちを確認する暇がないほど「○○べき」なことに追われていました。気持ちを大切にしていたらきっと立ち止まってしまい、スーパーマンのような時間の使い方はできていなかったでしょう。そう考えると日本のお母さん達は「働いていてもきちんと家事はするべき」などの多くの「べき」に縛られているのではないでしょうか。

義務ばかりを教えると「してはいけないこと」と「するべきこと」で頭が占領されてしまって生きづらく感じる、とその記事にはありました。一方でヨーロッパの国々では幼いころから徹底的に「自由」と「権利」は教えられていて、基本的に人の権利を侵害しなければ自由にしていいという考えなのです。

そういえば私の以前運営していたオンラインスクールでは入学試験に作文を書いてもらっていました。プロジェクト型で試験のない学校で、社会的にNGなこと以外は「自由」でしたので、自由をはき違える生徒が出てきたからです。

入学時に「自由について」という自由記述を書いてもらいった意図は自由と責任は対であることを入学時に伝えるためでした。「自由」を絵で表す生徒もいれば文章で表現をする生徒もいて、その表現法も一つではなくて自由としました。教育の現場でもこれからは正しい、正しくない、だけの問題だけでなく、せめて自由記述で考える訓練をさせたいものです。それが子どもたちの自己肯定感を育むことになるからです。

アメリカの学校では低学年の教室に自分の気持ちや相手の気持ちに目が向けられるように感情を表すイラスト付きのポスターを掲示していました。そして子ども同士のいざこざなどの問題が発生したら、先生はそのポスターの前に連れて行き子どもたちの感情を確認していました。感情にラベリングをして、自分の感情も大切、相手の感情も大切、を学ぶきっかけになっていました。感情にラベリングをすること、そうすれば「義務」や「すべき」から解放され自分で自由に考え始め、自分の人生は自分で責任を持つ、コントロールしている、という感覚も育まれていくのです。