教育の現場で親から受ける相談の一つに子どもとゲームの付き合い方についてが挙がることが多い。「うちの子ゲームばかりやっているんです」という内容だ。かつて80年代に「漫画を読んでいるとバカになる」とか「電車で若者が漫画ばかり読むようになった」という社会的な現象に似ている。まず冒頭にお伝えしたいのは大抵こういうことをいう大人はゲームそのものをプレイしたことがないか、好きではないか、知らないか、のどれかだ。

かく言うわたしもゲーマーではない。夫がゲーム業界で仕事をしていること、子どもたちが3人ともゲームを楽しんでいること、また多様な学びの場でたくさんのゲームの利点を見てきたこと、そして現在行っている企業研修でも元ゲーマーたちが組織の中でゲームの理論を応用して活躍していることを目の当たりにしているので今回は違う視点で「本当に」ゲームばかりやることが悪いことなのだろうかと考えてみたい。

「うちの子本ばかり読んでいるんです」とか「外遊びばかりしているんです」と違うところはどんな点だろうか。3つの観点から考えてみよう。

1:ゲームを知る努力をする。
「ゲームがダメ!」と子どもに伝えたかったらまずあなた自身が根拠を説明するためにゲームを知る必要がある。プレイをして何に夢中になっているのか、どんなメリットがあるのか、その中のデメリットはあるとすると何なのか、体験しよう。本来は何かに夢中になることは悪いことではないはずだ。もちろん寝食を忘れるくらいに没頭することは生活に支障をきたすのでそれは「依存」という見方もあるかもしれない。でもよく振り返ってみると「研究者」と言われている人たちが「実験」に没頭していたら、それは「依存」と呼ぶだろうか?

実験が良くてゲームが悪い理由はなんだろう?私たちが子どもの頃、気が付くと時間が経つのも忘れて夢中になった遊びはなかっただろうか?お人形遊び、外でゴム段、図鑑をじっくりと読んだり、好きな昆虫の観察をしたり、、。自分がゲームを知れば以前の私たちが子どもの頃に没頭した遊びとゲームは何ら変わらないものかもしれないと気が付くことがあるかもしれない。なぜ自然の中で遊んだり、本を読むのは正しくてゲームをするのは正しくないんだろうか?ここは深く考えたいポイントだ。

2:ゲームはコミュニケーションツール 
わたしもかつては子どもたちが小学生の頃にはゲーム機に没頭する姿を見たくなくてゲームを隠したりしていた時期があった。今思うと子どもたちを信頼しきれていなかった。子どもたちは隠されると必ず探し出すもので、結局親に隠れてゲームをするようになるのだ。ゲームについてオープンに話し合えたらもっと楽しい食卓になっていたかもしれない。そんな子どもたちが一人暮らしを始めた。

別々のところに住んでいても、同じ時刻に合わせて夫と子ども2人がそれぞれの場所から繋がり、一緒にチームを組んでゲームをしている。ゲームをしながら「大学の授業は最近どうなの?」「彼女はできた?」などという風に中々普段では聞き出せないような雑談もすんなり答えてくれたりする。

 

一番下の娘は6つ年上の大学4年生のお友達とゲームを通じて仲良くなり「就活」についての話を聞かせてもらったり、お姉さんとして交友関係などのアドバイスをもらったりしている。つまり社会に出たときに直面する縦横斜めのつながり、コミュニケーションが可能なのだ。知らない人とつながるときには「住所や本名を教えない」とか「異性に誘われたらまず親に相談する」などの一定のルールは必要であるのは言うまでもない。

3:社会に出て通用するスキルを培う「ゲーミフィケーション」
 もう10年ほど前に、ある有名なゲームデザイナーが「ゲームの手法が社会や世界を大きく変える」と発言し、その後ゲーミフィケーションとは「身の回りのこと(学び)にゲーム要素を入れて、人を楽しくやる気にさせること」とし、研究をされてきた。例えば、ロールプレイングゲームでチームを組む際に「魔法使い」「賢者」「勇者」「医者」「踊り子」のようなユニークなキャラクターが登場する。それぞれに得意分野がある。魔法使いは、皆の体力を回復はできるけれど、すぐに自分自身の体力を消耗してしまうとか、賢者は身体的な能力は高くないが戦略や知恵を貸してくれる、踊り子はチームをやる気にさせる、、などなどである。その組み合わせでミッションを達成するのだ。つまりその「キャラクター」は社会に出てもいろいろなタイプと照らし合わせて、どんな組み合わせだと特定のプロジェクトを完遂することができるか、と応用するきっかけになるのだ。社会に出て初めて会う苦手なタイプの人でも、「ゲームで言えば○○タイプだからこんな風にアプローチしよう」と考えられたりする。

またステージをクリアする方法は仕事で言うところのプロジェクトをやり遂げる力にもつながる。どんな戦略で、誰と、どんなふうに進めていけばプロジェクトが終わるのか。うまくいかないときは攻略を考えてどう攻めるか戦略を立てる。ゲームにはそんな要素も含まれているのだ。

これまでの私たちは大人になって初めて研修等でコミュニケーションタイプやプロジェクトの進め方、違うタイプとチームワークを作ることなどを何十万も支払って学んできた。学校では習っていないそれらの方法に目から鱗が落ちるのだが、ゲームをたくさんやってきた子どもたちは既に早いうちから多種多様な「キャラクター」と出会い、コミュニケーションを取り、ミッション完遂のためにどうやれば効率的に行きつくか、繰り返し考える訓練をしているのだ。あなたのゲームに対する否定的な一言がそんな子どもたちの可能性を狭めてしまっていないだろうか。

繰り返しお伝えするが私自身はゲーマーではない。ただ生きた証拠として子どもたちや伴走してきた高校生たち、そして企業研修でゲーム理論を応用して活躍しているエクゼクティブを見てきているのでちょっと違った見方をできるようになればと考えている。これについてはゆくゆく「哲学対話×ゲーミフィケーション」を開催したい。直近の哲学対話はこちらまで。たくさんのご参加をお待ちしています。