APハウスには約1300名の学生が住んでいると言われている。留学生は異国と大学の環境に慣れるために一年目に全員入寮ができる。一方で定員の関係で、日本人の学生が入寮できる可能性は留学生に比べると少ない。割合は留学生7:日本人学生3と言われている。「APUに入るよりAPハウスに入るほうが難しい」という冗談があるくらいだ。英語基準の生徒はどうやら全員APハウスのようだ。英語基準では、最初から英語ですべての授業を履修するため、トフルibt76以上(英検で言うと準1級程度)推奨で入学した学生で、当然彼らは多くの国際生とも苦なくコミュニケーションが取れるだろう。日本語基準(まずは英語力をつけて徐々に英語の授業を履修する)の学生にとってAPハウスに入寮するのは倍率が高そうだ。

早速多国籍なお料理を作りあう日々

そのAPハウスには4つの棟があり、大学に近いのはAPハウスの1と2である。ハウス1は1999年の開校時に作られた寮で、APハウス2は2006年に増築されている。見学はAPハウス2が主に中心となっているのは、設備が比較的新しくてモデルルームもあるからかもしれない。寮の部屋はシェアタイプが3割、シングルルームが7割で、女性フロア、男性フロア、そして混合フロアに分かれている。シェアタイプも真ん中の折り畳み式壁にはロックが付いているので交流を特にしたくない場合は鍵を閉めたまま一年間過ごすこともあるらしい。シングルルームにはトイレが付いている分少し狭いように感じるが、13平米なので8畳くらいの十分なスペースにベット、学習机、冷蔵庫、トイレ、などが完備されている。

インド人留学生お手製のカレー。「超」辛かったそうだ

フロアごとに共同のキッチンやトイレ、テレビスペース、洗濯ルームや浴室がある。コピーが取れたり、夜間にはミニ生協が空いていたり、各フロアには食べ物飲み物の自動販売機もある。金曜日に一度は生鮮品をAPハウス前までわざわざ「下界」から売りに来る。入寮した娘曰く、一人になりたいときにはなれるし、誰かと話したいと思って外に出たら必ず誰かがいるので楽しいそうだ。1週間ぶりに合った娘は、もともと海外が合っているということもあり、完全に言語も英語化していた。

留学生は、スパイスなどの食材やお薬なども準備万端で持って来ていて早速各国料理の腕を振るってもらっているらしい。娘は得意のメキシコ料理の「ワカモレ(アボガドディップ)」を作ったと言っていた。寮に入ろうと正面玄関に立つと施錠されているので娘を待っていたところ、気が付いた学生が開けてくれたり、廊下では声をかけてくれるし、フレンドリーな感じが満載である。自分が学生時代にこういう生活を送っていたらと想像するだけでも楽しい。とにかく日本の「○○すべき」がどこかに飛んでいってしまい、90か国のそれぞれの「当たり前」が混在している中で生活をするので、世界レベルで物事を考え対話を重ねていく日々を送るのだ。自分の守って来た境界線や可能性もあっという間に水平線のように広がるだろう。最後に4つ目のトピックである別府の街である

かつては別府温泉で有名だった別府市は、以前は湯布院にお客が流れていき活気がなくなりかけていたように思う。2000年のAPU開学と共に90か国の学生とその家族が別府を訪れる機会が増えたので、今はどのお店に足を運んでも活気がある。APUの学生たちが働き手としてたくさんいるので、東京や他の都市で見られる「スタッフ不足」ということが見られない。サービスやホスピタリティが行き渡っている。ラグビーの強豪国代表がキャンプを張りにこぞって別府の街を選ぶのも納得ができる。温泉宿は、温泉玉子食べ放題、ビール飲み放題のサービス付きや、各部屋に温泉が付いていることは珍しくなく、関東圏の温泉宿の半額くらいで宿泊ができる。

3つは食べた!

施設が新しく、清潔感の行き届いている宿が多い。大学が首都圏に集中しているので、その解消のために大学の定員を制限するのではなく、首都圏以外に出ていく大学には助成金を出して移転を推奨したらいい。欧米では学園都市と言われる都市はたくさんあり、大学を中心に街が栄えることだってあるのだ。その土地の特産や特徴のあるサービスを世界に発信することを学生と一緒に考えていく、プロダクトにしていく。プロジェクトにしていく。少しずつだが、日本各地にもその動きは始まっている。イエナプランの学校や特色を持つ学校が日本全国で開校し、その学校に入学するために家庭ごと大移動しているのだ。少子化とか人手不足ってそんなやり方でも解消できるのかもしれない。こういう街おこしの方法もありだ。 そんなことにまで思いをはせた48時間だった。 ピンと来た方はぜひ別府の街とAPUの学校説明会に行ってみてください。これからの時代を生き抜く子どもたちに必要な教育環境がそこにはあります。