日本における多様な学びの歴史

近くの図書館からたっぷりと書籍を借りて、私が2000年から取り扱ってきた『学習スタイル』の元となるセオリーや『多様な学びの歴史』について研究している。

2000年から2008年ごろまではプロジェクト型・登校日0でマンツーマンコーチングのハイスクールは「学校ではない」とされ、大学入試課や帰国子女の対応をする財団などの門戸も非常に固かった。新聞主催のストックリーグなどの大会の参加も「高校ではありませんよね」と断られ非常に悔しい思いをしていた。

私が接する生徒たちは『学校の学び方』が合わないというだけで、持っている才能や能力は目を見張るものがあったから一条校ではない、登校ができない、しないというだけでレッテルをはられることに違和感を感じていた。

米国から帰国した2009年ごろから、多様学びの流れが変わったことを肌で感じた。何度もアタックをし続けていた帰国子女を扱う財団の門戸がポンと開いた。話を聴きに行くと、「海外の駐在員も多様化していて、現地になじめずに不登校になったりするケースが出ているので、進学先の一つとして選択肢を知りたい」というスタンスに代わっていた。

その後、APU、慶応SFC、早稲田の国際教養、などが多様な学びの生徒こそ、尖ったものがある、と気が付き始めた大学の入試課の門戸が開き始めた。
(地方の大学や専門学校、通信制過程の方が入試の資格なし、と判断する学校は2年前でも多かった)

多様な学びで育った子どもたちに

・自分で問題見つける能力がある=問題発見能力
・その問題を色々なリソースを使って解決しようとする能力=問題解決能力
が培われれるのは枠にはまらないので必然的に「ではどうすればよいか」と常に考えるからだろう。

日本では2016年に学校以外の学びの場の存在を示唆する教育機会確保法が施行されたくらいからなので、まだ数年歴史の話である。

米国では100年前から哲学者のジョンデューイが実験校を作りそののちに学びの個別化に関して多くの心理学者、教育者などがマルチ能力理論などの理論を展開している。

私がこれまで接してきなこどもたちの多くは親が気が付き、「このまま社会の慣行に従うと子どもがつぶれる」と子どもたちの良さを体を張って守っていた。

ある地方に住む生徒の親は、市役所から児童虐待ではないかと電話を受け続け対応に困り
『子どもは留学をしています』、と嘘をついてホームスクールをさせていた。

マインドフルラーニングのベースとする「学習スタイル」はジョンデューイが提唱したセオリーをベースに、そののち知能テストや学力テストでは測れない才能を発見したハーバード大学のハワードガードナーや、心理学者のルイスアームストロングの考え、『マルチ能力』理論などをベースにした現代版の『学びの個別化』の指標となるものである。

それを扱うのは対話的なかかわりのトレーニングなされた『コーチ』や『教師』『親』などになる。

子どもを尊重したいというところに立っているけれどどうしたらよいかわからないというのは当然なことで恥ずかしいことではない。

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